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・古代瑪瑙ビーズについて





古代アゲートビーズとは、瑪瑙(アゲート)、オニキス、サードオニキスなど縞模様のある瑪瑙を削り出し、穴をあけてビーズ形状にしたものの総称です。
古代アゲートの歴史は大変古く、インダス文明まえの紀元前4000年~紀元前2000年の頃の現在のアフガニスタン、パキスタン周辺で多数発掘されています。
石の種類は、より古い時代ではアゲートだけにこだわらず、アゲート、サードオニキス、カーネリアン、ジャスパー、アマゾナイト、ラピスラズリ、ロッククリスタルと多岐に及んでいます。

この時代のビーズ加工で最も難しかった過程は、穴あけの工程と考えられています。
当時、石に穴を開けるテクニックや道具を使いこなす職人集団が居たものと考えられています。
青銅器(金属)が発明される以前は、どのように穴を開けていたのでしょうか?
まずは、原石の状態の石に先に、デザイン画を描き、良い場所に穴を開ける作業に取り組んだと考えられています。
動物の骨や、固い小枝と砕いた水溶きの水晶の粉末を使って、根気よく双方から穴を開けて行ってことでしょう。
このことから、ビーズの穴の中心あたりで穴がずれているものが多数あります。
その後、穴が貫通した石を研磨してビーズの形状に仕上げていったものと考えられています。
このような作業過程において美しい縞模様のビーズが出来るのはとても稀なことだと思います。
非常に稀な天然の美しい模様のビーズを量産するために、エッチドカーネリアンの技法が生み出されたと考えるのが自然ではないでしょうか。
自然な模様のアゲートビーズとチュンジーは似ています。

紀元前後のペルシアの時代、ガラスの製造技術が盛んになると、縞瑪瑙を模したガラス製のビーズも多数作られました。
有名なのはインドのKUSAMBI地方で作られたイミテーションアゲートです。(紀元前250年-紀元450年頃)
紀元前1000年~紀元後のイランでは、とても美しい縞瑪瑙ビーズが多数発掘されております。
また、この時代のアゲートビーズは、シルクロードの交易品として各地に広まりアジア全域で目にすることが出来ます。
逆に言えば、いつの時代のどこで作られたものかを判断するのはとても難しくなっています。
作られた時代ごとに、石の形(研磨)や、石質が違うのでこの辺りを参考に推測するしかありません。
当然ですが最近になって発掘されたものは素性がハッキリする訳です。
インダス文明のハラッパー遺跡やパキスタンのウル王墓からも多数のアゲートビーズが発掘されております。
現在では美しい模様のアゲートビーズの流通量(絶対量)が減少しており流通価格が高騰しています。

太古の昔に作られたアゲートビーズが、何千年という時間を経て自分の手元にやってきて美しい縞模様を愛でることにロマンを感じずにはいられません。
今も、昔も人は、美しい縞模様や目玉模様に憧れており、この憧れがローマ時代~イスラム時代のガラスビーズ(とんぼ玉)へと繋がっていくものと考えています。



・エッチド・カーネリアン について





天然石のカーネリアン(紅玉髄)にアルカリ性の溶液で人為的に模様付けをしたビーズです。アルカリによる腐食加工で模様付けすることををエッチングと呼ぶことから、エッチングされたカーネリアンという意味の「エッチド・カーネリアン」と呼ばれます。
このビーズは、およそ紀元前2600年~紀元前1600年前にインダス文明最盛期の特産品です。
エッチドカーネリアンは交易品として、銀、魚の干物、フルーツ、はちみつ、蜜蝋、琥珀などと交換するため、ペルシャ湾岸に点在する交易拠点を介して、遠くメソポタミア(過去のペルシア、現在のイラクあたり)まで運ばれました。
メソポタミアでは、ウル王墓(紀元前2100年)で多数発掘されています。
エッチドカーネリアンの作成技法は、ササン朝ペルシアの時代(紀元200年~紀元600年頃)を経て途絶えること無く続き今世紀の初頭までパキスタンにおいて伝承されていました。

また、黒い色の石に腐食加工したもの(サッカーボールビーズや亀甲ビーズなどと呼ばれているもの)は、インダス文明期よりも後、KUSGANA(クシャナ朝・クシャーン朝)の時代の遺跡から多く発見されており、紀元45年~450年頃のガンダーラアートの盛んな時代に多くつくられたものです。
クシャナ朝は現在のパキスタン・アフガニスタン一帯に栄えていました。
エッチング技法は、インドの近隣国にも伝わり、ビルマ(現ミャンマー)のPYU(ピュー朝4世紀~832年)では、化石化した木(オパール)に対してエッチングが行われました。
このビーズはPumtek Beads(パンテックビーズ)と呼ばれています。

現在では、鮮やかなオレンジ色のカーネリアンや黒い石アゲート(瑪瑙)にエッチング加工されたものは、絶対数に限りがあるためアンティークビーズとして模様の美しい美珠を中心に大変高価で取り引きされています。


・アンティークカーネリアン-ペマラカについて




天然石のカーネリアン(紅玉髄)は、大変古い時代から、人々に好まれ愛され受け継がれたきた石です。
縞模様や目模様(eye beads)がうっすら確認できるものもありますが、多くは大変深いオレンジ色のカーネリアンです。
古いカーネリアンには、アルカリによる腐食加工で模様付けされたものを「エッチド・カーネリアン」、人為的なエッチングのないものを「アンティーク・カーネリアン」と区別していますが、どちらもおよそ紀元前2600年~紀元前1600年前にインダス文明最盛期の特産品とみられています。

インダスバレーは現在のパキスタン、インド、アフガニスタンのあたり一帯をいいます。
メソポタミアやインダス文明の頃からシルクロードのような役割を果たす場所でもあります。
この地域はユーラシア大陸の要所であり世界の屋根ヒマラヤを超えて、東から西へ、西から東へ、さまざまな物が交換され広まっていきました。
物だけでなく、人種も文化も宗教も科学技術も、歴史の流れの中で行き交っていました。

カーネリアンのその深いオレンジ色は、時の権力うあ繁栄を象徴する意味を持ったり、血族の結びつきを感じる血の色や家族の深い愛情をイメージさせてきたようです。
それが幅広く多くの人々にずっと愛されてきた理由かもしれません。


ヒマラヤを超えてチベット圏に渡ったカーネリアンは、「ペマラカ」と呼ばれています。





「ペマラカ」のアンティークは数も少ないので、大変希少価値があります。

エッチドカーネリアンもそうですが、アンティークのカーネリアンにも、いわゆる「ブラッドスポット」と呼ばれる朱い点々が表れることがあります。
ジービーズやチュンジー、古いアゲートも同様に「ブラッドスポット」が表れた石は、表れていない石に比べると高価に取引される場合が多いです。


「ブラッドスポット」が表れるとなぜ高価になってしまうのでしょうか?
「ブラッドスポットにパワーを感じるから・・・、そういうことなのかもしれません。
でな何のパワー???
運気が上がるパワー、スピリチュアルなメッセージのパワー、などという下世話な理由ではありません。

「ブラッドスポット」というのは、老化の表れでもあり、瑪瑙系の石には見られることがあります。
石だけでなく、人間の皮膚にも老化現象の1つとして「ブラッドスポット」のようなシミが出てくる人もいるようです。
老化といいますが、それはまだ生きている物が生命を終えるまでの成長過程の1つの表現と捉えれば、まだまだ生命を終えるまでの成長過程でもあるわけです。
まだ地層の中に眠っている天然石でしたら成長中であることも想像がつきやすいですが、削られ研磨され身に付けられてもなお、長い長い時の流れの中で、ブラッドスポットを表しているのは、まだその石が成長中であり、死んではいないと解釈されることが多いからだと思います。
数千年も数百年も前にすでに加工されたアンティークストーンの中に生命力が宿っているというのは、奇跡でもあり、だからこそ、アンティークストーンが素晴らしい美しさと存在感を放つ理由かもしれませんね。

・アンティーク・ロック・クリスタル について




古代アゲートと同様に、太古の昔から水晶を削り穴を開けたビーズが存在しています。
一番綺麗なものは、インダス文明最盛期の紀元前1800年頃にパキスタン、アフガニスタンエリアで作られたものです。
すべて遺跡などからの発掘品ですが、水晶のビーズが作られたときに、青緑色のガラスを表面に塗りつけたものもあります。
地中からの発掘品のため、ほとんどの青色のパティナ(ガラス痕)は剥がれてしまいますが、ほんの少し太古の面影の青色を残すものもあります。

一番古いガラスは、紀元前4000年頃のエジプト、メソポタミアで二酸化ケイ素(シリカ)の表面をとかしたものです。
砂と不純物が混ざっていることから青緑色になったと考えられています。
すでに、この時代にガラスの加工技術の交流がメソポタミア~インダスであったように思います。
この時代の水晶のビーズには、少し黄ばんだ色合いのものと、氷のような透明感のものとが混在していますが、どちらが古いというものではなく同じように発掘さてれいます。

最近では、中国製のレプリカが大量に市場に出回っています。
穴の質感など細部をよく見れば判別できますが、アマチュアコレクターの方は信頼の出来るルートで手に入れるようにした方がよいでしょう。

インダス文明の頃・・・日本は縄文時代です。
そしてその後の古墳時代の遺跡からは、これらと非常によく似たロッククリスタルのビーズが発掘されています。
もしかするとこの時代に、交易品として日本にも渡ってきたのかもしれませんね。
ほんとにロマンがある・・・と思いませんか?

・ジービーズ/チュンジービーズ について







What?  dziって何ですか?

天然石の瑪瑙(乳白色のカルセドニー)をアルカリ溶液で一旦黒化させた後、再度アルカリ液で白色の◯や□の模様をエッチング加工したビーズをジービーズを言います。
ジーとはチベット語で瑪瑙を表す言葉です。
また、乳白色のカルセドニーの中央部分だけを黒化させた後、白色のストライプを入れたビーズはチュンジーを呼ばれています。チュンとは、「セミ(第二の)」とか、「低級の」という意味で、ジービーズより格下のビーズ全般を言います。

ジービーズは、チベット文化圏でつくられたビーズで同じような技法や模様のビーズは他では見ることができません。
ジービーズに書かれた模様には規則性があり、円、点、正方形、長方形、線、心臓、花瓶などの模様に、ジグザクの線を組み合わせたものが殆どです。
一般には、丸い模様が1つなら「一眼」2つなら「二眼」のように呼ばれています。
チベットの言葉では、一つ一つの模様に固有の呼び名があります。
チベットのジービーズは古代からの遺物ですが、チベットの人々は、良いカルマ(幸運)をもった虫が変身して天からやってきたなど超自然的な起源であると信じています。
チベット人は、雷の音をドラゴンの叫び声と考えており、ジービーズはドラゴンの力を格納庫のように捉えているそうです。
インド・シッキムでは、Kanchenjunga mountain(カンチェンジュンガ山)の裾野の斜面で多数発見されています。


How?  dziをどうするの?

ジービーズの歴史は、科学者、歴史学者、考古学者の間で、7世紀にジョカン寺に奉納された仏像とともに奉納されたのが始まりと考えられています。
ジービーズの使用目的は、チベット社会で様々な目的で使用されています。
チベットの女性は装飾品として使用し、男性、僧侶、高僧は、保護と幸運の証としてそれを着用しています。
寺院では、神聖な古代の仏像を飾る装飾品として使用されています。
チベットでは、羊数千頭~数十頭と同じ価値で取引され、ジービーズはステータスシンボルとみなされるようになっています。
5眼、7眼、9眼、12眼に至っては、数千頭のヤクと同等の価値てされています。
同様に、蓮の花や長寿の花瓶模様のジービーズも非常に高い価値が付いています。


Why?  どうしてdziを持つの?

一般に、ジービーズは悪いカルマを避け(魔除け)、貴重な願いを叶える(ヤン)に効果のあるお守りとして流通しています。
また、チベット漢方の薬の主成分としてこの石を削って飲用します。
特に、一眼、3眼、5眼、9眼、天地、蓮花、ドルジェ模様のジービーズは、悪いカルマ避けに効果があると信じられています。
チベット、シッキム、特にブータンでは、ジービーズの角を少し削り、突然の不幸や病気、家族の死をふせぐため神様に捧げる風習があります。
このため、古いジービーズの中には、人為的に角を削ったものも少なくありません。

古いジービーズは、チベット文化圏:ブータン、シッキム、ラダック、ネパールや以前仏教国であったアフガニスタン、シルクロード沿いのパキスタンでもジービーズは発掘されています。

20世紀のアジアの歴史を少し振り返ってみてください。
現在、世界地図の上にチベットという国は存在していません。
存在しない国ではありますが、チベット密教の愛と慈悲の教えは途絶えることなく受け継がれています。
チベットのことを詳しく知りたい方はコチラをご覧になってください。


そして今、dziは・・・

1940年代から、中国、インドにおいてレプリカが作られるようになりました。
1944年には、台湾で非常に良いレプリカが製造されはじめ、これらレプリカには、チベットのアンティークビーズ固有の特徴をすべて含んでおり、アマチュアコレクターの中には、これらのレプリカを本物のアンティークと称して、思考法外な金額でだまされることがおきました。
したがってアンティークのジービーズを購入にあたってはとても注意が必要です。
チベットジービーズには、チベット仏教、文化と密接に関連しており、ジービーズを所有するということは、チベットを外の世界に広め、チベット仏教を明らかにする事にほかなりません。

あたかも「願いを叶えるパワーストーン」としてジービーズを見る機会が増えてきました。
ホントに願いをかなえてくれるでしょうか?
さぁ、どうなんでしょうね?
ガネーシャとしては、「縁を運ぶ石」のように感じています。
それはきっと、「人としての生き方・在り方」から作られ大事にされてきた背景があるからでようね。
「二眼は◯◯に効く」とか「天地は□□に良い」とか、そういう個人の欲望を叶える為のものではないような気がします。
あまり模様の効能にこだわる必要はないようです。
どの模様でも、持ち主が自然と気付かされていく不思議な力があるように思えてなりません。
当店のお客さまはみなさん、お約束のようにいつも身につけて大事にされています。
チベット仏教徒でもないのに・・・ね、と微笑ましく思います。

今、チベットという国はありませんが、チベット民族はたくさんいます。
チベット文化を色濃く残す国もまだまだあります。


チベットの文化と民族に敬意を表して、ガネーシャではdziを天珠とは呼んびません。(HP上では種類がわかりやすように漢字表記にしています)

パワーストーンという言葉では言い表せないモノを宿していると思うので、やはりdziはdzi(ジービーズ)と呼びたいと思います。


どんなdziがいいの?

アンティークに関しては、見るポイントがいくつかあります。
石の肌、石質、焼き込み具合、ホールの状態、磨耗具合など、細部までチェックすることが大切です。
誰しもわかることではないので、よほど興味のある愛好家か多くのアンティークを見てきた方から本物の実物を見て理解を深めていくことが一番良いと思います。
たくさん見ていくと、自分の好きな色・艶・大きさ・肌質がわかってきます。
アンティークは何でもそうですが、奥が深いものです。
そしてどれが一番イイと言えないもの面白いですね。
アンティークがアンティークである所以は、唯一無二であるところです。
長い時の流れの中で、今目の前に在る偶然の奇跡もアンティークの魅力のひとつでしょう。
状態や模様によって、アンティークの値段は大きく変わります。
最初から大物を狙うのもいいですが、まずは勉強も兼ねてお手頃なお値段から探してみてください。
どんな模様でもきっと良いご縁を運んでくれることでしょう。

チベットという国がなくなった後に中国や台湾で作られたdziはアンティークとは言いません。
数十年前のものでも決してアンティークではありません。
それらは新しいdzi(New Dzi)と区別されます。
当店でも新しいdziを扱っていますが、できるだけオリジナルのアンティークdziに近い印象のモノを選んでいます。

・チベタンコーラル、ターコイズ、アンバー について


ヒマラヤ地域においては、コーラル(珊瑚)、ターコイズ(トルコ石)、アンバー(琥珀)のビーズが装飾品として使われています。
仏像の装飾や、女性のアクセサリー、男性の富の象徴として使用されています。
コーラルは赤色、ターコイズは緑(黒)色、アンバーは黄色、と仏教五色(赤色、緑(黒)色、黄色、白色、青(紫)色に通じると考えられています。
これらに、白色のパール(真珠)とジービーズを組み合わせたネックレス状のアクセサリーは、ステータスシンボルとして今もチベット人の祭礼時に使われています。 




チベタンコーラル

日本では、チベタンコーラルのことを「山珊瑚」と称する場合があり、ヒマラヤ山脈が地殻変動で隆起した時に、海底にあった珊瑚が一緒に地上に押し上げられたものであるとの説明をよくされますが、ヒマラヤ山脈が地殻変動により出来たのは、およそ2500万年前であること、チベタンコーラルが綺麗な赤色を残していることを考えると地殻変動による化石珊瑚とは考えづらいと感じます。
化石珊瑚(Fossil coral)というものも存在しますが、基本的に黄土色しておりチベタンコーラルとは別物と思われます。

ヒマラヤ地域に仏教文化が広がったのは、西暦700年前後であることから、シルクロード貿易の交易品として、地中海の珊瑚がチベットに伝わったものと、当店では考えています。
これを証明するように、チベタンコーラルとまったく同じような品質の珊瑚のビーズはモロッコでも多数見受けらます。
ちなみにチベタンコーラルのDNAを調べたという人に聞いた話では、チベタンコーラルと地中海の珊瑚のDNAはとてもよく似ているそうです。
コーラルの原産地はともかくとして、コーラルのビーズがチベットで愛用されていてことには変わりなく、色が濃い赤色で、よく使い込まれていて、自然な摩耗があるものは殆どないことから、近年では程度の良いチベタンコーラルを目にすることはまず有りません。
程度の良いものがコレクターの手から手てと渡り歩いているような感じです。




チベタンターコイズ

チベタンターコイズも、交易品としてイランから流入したトルコ石がルーツと考えていますが、古いものはコーラル同様にチベットに渡ってから、1000年以上経っているものもあり、アンティークとしての価値は相当なものです。

チベットのカム族女性のように、頭にかぶる帽子に、びっしりターコイズを縫いつけてあることもあります。
三つ編みにした髪の毛にターコイズを編みこんだり、ネックレスや数珠の一部ににもターコイズは使用されています。

大昔のチベットでは、ターコイズはお金のように扱われ、我が子がお寺に小坊主として入る時の持参金(持参石)として、親は畑を畑を売ったり大変な苦労をして良いターコイズを手に入れたという記述がミラレパ(チベットで最も有名な仏教修行者(1052-1125年))の伝記の中にもそのような記載がされています。

チベット寺院をお詣りするチベット女性の首元には、赤い紐に通され、汗と脂がしっかり染み込んだ濃い緑色のターコイズを見かけることがあります。
長い間、親から子供へと伝承されてきたのであろうターコイズは、惚れ惚れするほどの色艶であると同時にチベット人の信仰の深さを垣間見ることができます。



チベタンアンバー

アンバーもシルクロードの交易品だと考えていますが、ウクライナ地方のモノとは色合いが違い、チベットのアンバーは透明感の無いマットな黄色です。
チベットアンバーと非常に似たアンバーが、アラビア半島でもたくさん出まわっています。
しかし、チベット伝承のアンバーはより使い込まれたような摩耗があります。
しかし現在においてはアラビア半島のアンバービーズを買い付けしているチベット人やアンティークディーラーもあり、回りまわって一番高額で取引されるチベットアンバーになってしまうような気もします。
当店がチベットアンバーとして認めているのは、ヒマラヤ地域で何十年も伝承されてきたものであり、本当の原産地に拘るわけではありません。

チベットの祭礼用衣装には、大量のアンバー首飾りをつけた人がいます。
これらのアンバーは先祖代々伝承されたものだと思います。
アンバーにターコイズやシルバーを組み合わせたビーズもあります。

アンティークのジービーズにアンティークのコーラル、ターコイズ、アンバーを組み合わせたネックレスは、ヒマラヤのジュエリーとして最高の逸品としてコレクターには垂涎のアイテムです。


・ローマングラス について







ローマングラスというのは、ローマ帝国時代につくられたガラスのことです。
ローマ帝国は紀元前27年~紀元395年に栄えました。
この時代に「吹きガラス」の技法が発明され、ガラス器の大量生産が可能となりました。
そしてこの時代につくられたガラス器は、ローマ帝国の強大な流通網シルクロードを渡り広がって行きました。
すべてのローマ遺跡や、イスラエル、シリア、レバノン、イランの中東地方や、アフガニスタン、パキスタンの同時代の遺跡からは、多くのローマングラスが出土しています。

時代の移り変わりの中、破損の為、廃棄や奉納品として地中に眠ったローマングラスは、何百年という時間をかけてガラス成分と土の同化現象や風化現象を起こしました。
多くのローマングラスは、白っぽい銀色の膜でおおわれるような変化(銀化現象)を見せますが、湿度、温度など様々な要因で風化現象を起こし、紫、緑、赤、金、黄色といった玉虫色に変化したものもあります。
多くの遺跡が乾燥地帯にあることも、現象を起こす要因のひとつと言われています。
そしてなお、土の中だけ変化を起こすので、空気中で変化(風化変色)することはありません。

これらの美しく輝くローマングラスは、割れた瓶や壺の破片として発掘されることがほとんどなので、発掘した破片の中から美しい部分を切り出し、アクセサリーとして加工しています。
もちろん、割れずに瓶のままの状態で発掘されるものもありますが、それらは博物館行きです。
イランのササン朝時代(紀元200年~紀元600年頃)に作られ世界に輸出されたガラス器は、正倉院の宝物品はもちろん、天皇陵、京都の上賀茂神社、玄界灘に浮かぶ沖の島からも出土しております。

2000年も時を刻んだローマングラスの魅惑的な輝きと、2000年も前に世界に広がっていったガラス器のロマンを小さなガラスの破片から見えてくる、そういう楽しみ方ができるのもアンティークビーズの面白いところですね。


・とんぼ玉 について




とんぼ玉というのは、ガラス製の穴あき丸玉をいいます。
従って、エッチドカーネリアンジービーズのように天然の石に模様を描いたものは、とんぼ玉には含みません。
古くは古代エジプト時代(紀元前3000年~)からつくられ、フェニキア時代(紀元前6世紀~紀元前3世紀ごろ)には目玉模様を描いたガラスビーズとしてひろく広がりました。
それ以前は、ビーズ全体をガラスで作ったものではなく、ロック・クリスタルで記載したように、天然石の表面(一部)にガラス質の加工をしたものでした。
日本語でとんぼ玉にといわれるのは、ガラスビーズの模様が昆虫のトンボの目玉に良く似ていることから、江戸時代の中期頃からそう呼ばれています。

ローマ帝国の分裂後、ガラス工芸を引き継いだのはササン朝ペルシアです。
この時代からイスラム帝国(西暦632年以降)において、ローマングラスの文化とササン朝の文化を引き継ぎ、イスラム教の教えや生活文化に溶け込んでいる幾何学模様や唐草模様のとんぼ玉がつくられました。
その後バイキング交易にのり、8~11世紀に色とりどりのとんぼ玉が広がっていきました。
ひときわ有名なヴェネツィアンビーズの交易は11~12世紀頃に始まり、16世紀の終わりごろにはアフリカ交易として利用され、アフリカの金、象牙、奴隷(人間)と引き換えられた歴史があります。
アフリカの人たちにとってこのビーズは、未だ見たことのないとても魅力あふれるモノに感じたことでしょう。
そのためベネツィアでは、昼夜を問わずにとんぼ玉が量産されたといわれています。

現在出回っている古代トンボ玉には、イスラム玉、モザイク玉、ヴェネツィア玉、ジャワ玉など、つくられた時代・場所などにより多種多様に区別され、模様の特徴によっても、ロゼッタ、ムッリーネ、オッキニ、ピューマータ、カンネなどに区別されています。
古い時代につくられ、流通量が少なく、模様が綺麗で、状態程度の良いものほど高価で取引されていますが、こちらも近年、とても精巧につくられた中国製やインド製のレプリカが出回っているので、アマチュアコレクターの方は十分な注意が必要となっています。


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